テミンは「芸術」か?を考える前にまずは芸術の定義から始めないといけない。
私は理論立てて考察することができない。とりとめもなくやっていく。
テミンは「芸術」か?
芸術(ART)の定義
現代芸術(Contemporary Art)について下記のサイトから引用する。現代芸術とは文中でも語られているとおり"現代の芸術"である。歴史の変遷にともない社会における芸術の立ち位置は変化しているため、今回はこちらを参照にしたい。
現代アートとは、現在活躍するアーティストが制作したアートです。そのため、現代アートは、多様でグローバル、そして急速に変化する世界を形作る複雑な問題を反映しています。多くの現代アーティストは、作品を通じて、個人または文化的アイデンティティを探求し、社会や制度の構造を批判し、さらにはアート自体の再定義を試みています。その過程で、彼らはしばしば、簡単な答えを提供することなく、難しい、または考えさせられる質問を提起します。好奇心、オープンな心、対話と議論への取り組みは、現代アートの作品に取り組むための最良のツールです。
出典:https://walkerart.org/visit/what-is-contemporary-art/
冒頭で答えが出ているが、テミンのカテゴリーはアーティストなので彼のパフォーマンスはアート=芸術ということになる。
ここで言うアーティストは肩書きの話ではない。性質のことだ。
"多くの現代アーティストは、作品を通じて、個人または文化的アイデンティティを探求し、社会や制度の構造を批判し、さらにはアート自体の再定義を試みています。”
まとめると、テミンが芸術(ART)なのは彼自身がアイデンティティの探究者であり、それを表現しようと追求しているからだ。
タイトル曲『IDEA』は、洞窟(プラトンの洞窟)の寓話からインスピレーションを得た。『洞窟に閉じ込められて』真実の影の中で生きるのではなく、暗闇から解放されて、新しい自我、アイデンティティ、意味を発見する悟りの旅に出たい」
出典:https://hypebae.com/2020/11/taemin-lee-never-gonna-dance-again-act-2-album-superm-member-korean-music-release-interview?utm_medium=social&utm_campaign=twitter_post&utm_source=Twitter#Echobox=1605051379
これではまだ半分だ。テミンのパフォーマンスが芸術(ART)なのは以上のことで確かだが、テミンは「芸術」か?の答えには至っていない。
「テミン」とは何か?
画家はキャンバスを表現の媒体にする。では、その媒体(キャンバス)が「絵」なのか。
「絵」を「絵」たらしめているのは画家自身を含む鑑賞者の眼。眼を経由した視覚情報が結んだ像、それが「絵」だ。
芸術においてこの眼の存在はけっして切り離せない。
テミンも同様だ。この場合のテミンはアーティストのテミンを指す。そして表現の媒体はテミン自身である。テミン自身が、そして私達が、彼のパフォーマンスを「観る」ことでテミンは「テミン」となる。
テミンこそが彼の表現の媒体であり、生まれるのは「テミン」という芸術である。
創作へのアプローチ
もしかしたら彼がアーティストではない、と感じる人もいるかもしれない。
制作においてテーマ、コンセプト、作詞に作曲、すべて自らが手がけてこそアーティストであると考えるかもしれない。
しかし、美術館に展示されてるような作品も制作スタイルは多岐にわたる。
アンディ・ウォーホルだってスタジオでアート・ワーカー(芸術労働者)を雇ってチームで制作していたし、その方法は村上隆も踏襲している。(そもそも中世は工房での集団制作が基本だった)
スタイルが違うだけ。またテミン自身作詞をすることもあるし、コレオやコンサートの演出についてもアイディアを出し、細部まで擦り合わせながら、監修していた。
何より特徴的なのは創作へのアプローチだ。
新しい音楽を制作する際の創造的なプロセスについて話すとき、テミンは独自のアプローチでインスピレーションを見つけます。それは現在の精神状態を探ることです。「映画を観るとき、映画自体からインスピレーションを受けるのではなく、観ているときの自分の感情からインスピレーションを得るんです。それが最も重要な役割を果たします。」と述べています。『Never Gonna Dance Again』のレコーディングを振り返り、「何か新しいものを創り出そうとするスランプの時期があったので、その経験を芸術的で有益なものにしてアルバムに取り入れたいと思いました。」と付け加えます。彼は自身の現実の思考と特有のドラマを組み合わせており、それは彼独自の方法であり、他の誰にも真似できないものです。
出典:https://hypebae.com/2020/11/taemin-lee-never-gonna-dance-again-act-2-album-superm-member-korean-music-release-interview?utm_medium=social&utm_campaign=twitter_post&utm_source=Twitter#Echobox=1605051379
"自身の現実の思考と特有のドラマを組み合わせており”
私がテミンのステージやMVにはナラティブ*1やマジックリアリズム*2要素を感じるのはそのためかもしれない。
テミンは「芸術」だ
テミンはインタビューでたまにクリシェ(常套表現)という単語を使う。テミンと聞いて思い浮かべるニュアンス、シグネチャーポーズなどだ。
これについてはこちらの動画が詳しい。
テミンのあらゆるクリシェは彼の表現探究の産物であり、単に表面を美しく整えたものではない。だからこそ観る者に訴えかける。
そしてテミン自身がテミンにとって最大の鑑賞者で、研究家で、評論家なのだろう。テミンという作品に誰よりも厳しい眼差しを向けている。
だからこそ彼は芸術として極限まで結晶している。
また。テミンがここまでアーティストとしての自我を確立できたのは、彼自身の資質とSMエンタがその機会を幾度も与えてきたからだと思う。ついにソロアーティストとして10周年を迎えるテミン。彼の新たな探究が楽しみでならない。