ことばのほとり

新規テミンペンのゆるいオタ日記

偶像を推すということ

ギルティプレジャー。

偶像を推すということ

某総選挙。あそこで私は遅まきながら気づいた。
「応援」という美名のもと年端もいかない子供をオモチャにしていること。
そんな残酷なショーを茶の間でエンターテイメントとして消費していること。

私の当時の推しは別の界隈だったけど、それでも「偶像を推すということ」はギルティプレジャーだと気づいたきっかけは、あの総選挙だった。

誰かを偶像にするということ

恥ずかしいことに、それでも当時の私は随分と鈍かった。
自分も加担しているという自覚がなかった。

誰かを偶像にすることは、極端な話、個人の人格の否定。そこまで思慮が及ばなかった。
その覚悟もなかった。

芸能界はそういう場所。そうと知って根をはる大人はいい。でも、まだ分別のない子供は違う。

一応大人の責任として、未成年を見るとき、私はその後ろにいる大人の思惑を気にしている。彼ら、彼女らをどう売り出すのか、それは未成年に相応しいのか…

恐ろしく卑怯なことに、私は彼ら彼女らを守りたいわけではない。ただ加担したくない。

ギルティプレジャー

偶像を推すということ、あるいは誰かを偶像にするということはギルティプレジャーで、私の中の一線は「私の行為がギルティプレジャーである」という自覚。その自覚を持って発信するし、促進する。